エレベーターのメンテナンスという仕事をしていると、「どんな作業をしているのですか?」と聞かれることがあります。
一般の方からすると、エレベーターは「動くか、動かないか」の世界です。ボタンを押せば扉が開き、目的の階へ運んでくれる。それが当たり前です。
しかし、私たち保守技術者が向き合っているのは、その「当たり前」を支える、ほんのわずかな違和感との戦いです。
そして、その違和感は、多くの場合、微細なトルクの中に潜んでいます。
私はよく、「調整の神様は、微細なトルクの中に宿る」と考えています。
これは少し大げさに聞こえるかもしれません。しかし長年現場に立っていると、本当にそう感じる瞬間が何度もあるのです。
例えば、あるリミットスイッチの固定ネジ。
少しだけ締め付けが弱いと、長年の振動で位置がずれます。逆に強く締めすぎると、樹脂製のケースが歪み、接点に余計なストレスを与えてしまいます。
あるいはドアスイッチの固定ボルト。
あと数度だけ締め付ければ安心だからと力を加えすぎると、ブラケットがわずかに変形し、数か月後にドアの閉まり方へ影響が出ることがあります。
ベアリングの固定、ブレーキライニングの調整、ガイドシューの締付け…。どれも「適度」があります。「強ければ良い」という世界ではありません。だからこそ、経験を積んだ技術者ほど、工具を乱暴には扱いません。ドライバーを握る手にも、最後のひと締めには独特の間があります。
グッ。 その一瞬で止める。
それ以上は回さない。
その感覚は、マニュアルだけでは決して身につきません。
ネジ一本にも適正な締付けトルクがあります。
もちろんトルクレンチを使うべき場所もあります。しかし現場では、工具が入らない場所や、メーカーも具体的な数値を示していない箇所が数多く存在します。
そんな時に頼りになるのが、経験です。
金属が今どんな表情をしているのか。ボルトがどこまで伸びているのか。座面がどの程度密着したのか。工具越しに伝わる感触を読み取る。
まるで楽器を演奏するような世界です。
だから私は、この仕事は力仕事ではなく「感覚の仕事」だと思っています。エレベーターは数万点もの部品で構成されています。
その一つ一つは決して派手ではありません。
しかし、その一つが原因で故障が発生することもあります。
私たち保守会社が点検の際に見ているのは、「今、正常かどうか」だけではありません。
来月。
半年後。
一年後。
次の点検まで、この部品は安心して働き続けられるだろうか。
そんな未来を想像しながら点検しています。だからネジ一本でも気になります。
少し錆びている。
座金が潰れている。
以前触った人の工具傷が残っている。
そんな小さな情報が、設備の履歴を語ってくれるのです。
最近は、IoTやAIによる予知保全が注目されています。確かに、振動や電流値を監視して故障を予測する技術は非常に優れています。
これからますます普及していくでしょう。
しかし、それでも最後は人の目です。人の耳です。人の手です。
「今日は少し音が違う。」
「いつもよりブレーキの戻りが遅い。」
「ドアの閉まるリズムが少し変わった。」
こうした違和感は、数値だけでは表現できません。
長年同じ設備を見続けている技術者だからこそ気付ける変化があります。私は、この感覚こそが保守技術者の財産だと思っています。もちろん、調整は自己流ではいけません。
メーカー基準を守ること。
保守基準を守ること。
法令を守ること。
これが大前提です。
その上で、機械ごとの個性を理解し、最適な状態へ導く。それが保守技術者の腕の見せどころです。同じメーカーでも、同じ型式でも、設置環境が違えばコンディションは変わります。
海の近くなら塩害があります。
厨房の近くなら油分があります。
福祉施設では乗車回数が多く、オフィスビルでは朝夕に負荷が集中します。
現場は一つとして同じものがありません。だから面白いのです。
私たちの仕事は、故障を直すことだけではありません。
故障させないことです。
事故を起こさないことです。
利用者が何事もなく一日を終えられるようにすることです。
調整の神様は、きっと大きな故障の中にはいない。
工具を握る手が感じる、ほんのわずかな抵抗。
締めすぎず、緩すぎず。
その絶妙なバランスを見極める、微細なトルクの中にこそ宿っているのだと。
今日も、その神様に恥じない仕事を積み重ねていきたいと思います。
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